お坊さんが世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドを再読して思うこと

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読書の秋ということもあり、久しぶりに村上春樹さんの小説を読んでみることにしました。『1Q84』以来久しぶりです。

 

 

 

 

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』についてウィキペディアより引用

概要[編集]1985年6月、新潮社より刊行された。著者としては初めての書き下ろし長編小説である。装丁は司修。第21回谷崎潤一郎賞を受賞した(30歳代での受賞は大江健三郎以来史上二人目)。1988年10月、新潮文庫として上下巻で文庫化された。1990年11月刊行の『村上春樹全作品 1979~1989〈4〉』に収録された際、若干の修正が加えられた[1]。2002年時点で、単行本・文庫本を合わせて162万部が発行されている。作品は40章からなり、「ハードボイルド・ワンダーランド」の章と「世界の終り」の章が交互に進行し、それぞれ世界を異にする一人称視点(「私」と「僕」)で描かれる(『海辺のカフカ』の同時間軸とは異なり、厳密な意味でパラレルに進行する訳ではない)。『ノルウェイの森』(単行本)のあとがきの中で、村上はこの小説を自伝的な小説であると位置づけている。「世界の終り」の部分は『文學界』(1980年9月号)に発表された中編小説『街と、その不確かな壁』が基になっているが、結末は大きく異なる。本作品の構造は、以後のサブカルチャーに多大な影響を与えたと評されている。

私が初めて読んだのは大学院生の頃だったので、10年ほど前かと思います。私は『国境の南、太陽の西』、定番ですが『ノルウェイの森』が好きでした。村上春樹さんのリアルな世界とファンタジーとか渾然一体となった小説はそんなに評価していなかった気もします。

今回読んでみて、改めて気づいたことや再確認した共通点などありました。先に述べたリアルとファンタジーとが混じり合った世界観は、この小説の醍醐味でもあると思います。またハードボイルド・ワンダーランドの世界はほかの小説よりもスピード感を感じさせるものであるように感じました。

また村上さんの世界観に共通する存在として、羊男ややみくろなど人ではないものが現れます。また「根源的な悪」に触れることも共通しています。仏教者としては、根源的な悪というものについて思いをはせながら読みます。

また作中において、時間の概念についての話が出てきます。肉体が朽ち果てても、思念はその一瞬前のポイントをとらえて永遠に分解していくという話です。これは「永遠の生」ととらえることも出来るということです。興味深い表現です。仏教も私たちの思い描く時間概念とは異なるものを持っています。そもそも時間というものを感知するのは誰かというときに想定する私というもののとらえ方が違います。端的に言えば、過去、現在、未来にわたって一本につながるような私ではなく、刹那的な「今」「ここ」の私が感知できるだけと申しましょうか。改めて時間の概念の考えさせられたことでした。

少しが話が難しくなりました。ユルい部分では村上さん特有の「うまそうなお酒の描写」が所々に出てきます。これを読むとビールが飲みたくなりますね。日本酒が出てこないのが残念です。

30代になり、主人公と同年代になってから読むとまた少し違った読み方になります。この10年でお寺に帰り、結婚し親になり、ライフステージも変わりました。再読の良さはここにありますね。

最初は取っつきにくいかもしれませんが、中盤からの展開にぐいぐいと引き込まれ、最後まで飽きずに読めると思います。定番ですが、やはりおすすめです。